西武線 廃線、廃駅めぐり~(仮)高田馬場駅と踏み切り番号の謎

今回は現在の高田馬場駅ができる一年前、山手線をくぐる工事が遅れたために存在した(仮)高田馬場駅を探索します。

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実際の場所や跡がありませんので新宿区の中央図書館の資料から
「地図で見る新宿区の移り変わり 戸塚・落合編(新宿区教育委員会制作)」
見つけその中に今の高田馬場周辺の昭和16年淀橋区の地図を見つけ解読してみました。
(新宿区は1947年に四谷区、牛込区、淀橋区が合併して誕生した。)
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歴史
1915年(大正4年)3月
      村山軽便鉄道が箱根ヶ崎-東村山-田無-吉祥寺間の軽便鉄道免許を取得。

       工事着手期限申請を5回延期

       その間、会社も村山軽便鉄道、川越鉄道、武蔵鉄道、西武鉄道(旧)へと吸収合併を繰り返す。

1924年(大正13年)7月 東村山-田無間の工事着手を許可
      終点の吉祥寺から荻窪への変更を申請。
      下井草から目白の支線の免許も申請。
      
      支線の終点を目白から高田馬場へ変更
  
      工事竣功期限申請を5回延長

1927年(昭和2年)4月19日
     西武鉄道(旧)村山線高田馬場(仮)駅 - 東村山駅間 (23.7km) 開業(複線・電化)。
      山手線と立体交差する手前に仮駅として開業。

1927年(昭和2年)5月2日  鉄道省により下井草-荻窪間の免許取消

1928年(昭和3年)4月15日
      高田馬場駅 - 高田馬場(仮)駅間 (0.5km) 開業。

1945年(昭和20年)4月13日
      太平洋戦争中に空襲を受け駅舎全焼。

1952年(昭和27年)3月25日
      西武新宿-高田馬場間開業
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現在の踏切番号と位置
高田馬場-下落合間(1.2km)は第二、第三、第五、第六、第八、第九が存在している。
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昭和16年淀橋区詳細図
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第一、第四、第七が今存在しないのか?
おそらく約1km間に九つもの多くの踏切があり人のみの踏み切や幅の狭い物を廃止した為だろうと思います。

次に本題の山手線と立体交差する手前に仮駅として開業位置を探していきます。

仮の駅舎から現在の位置に線路を通すのに1年掛かったと言う見方を変えれば

1年待てば仮の駅舎を作る必要は無かった。

そもそもなぜ仮の高田馬場駅が必要だったのか
度重なる工事着手の延長、工事竣功期限延長を申請を頻繁に繰り返し我慢の限界となった鉄道省があったため早急に開通して既成事実を作れば鉄道省の溜飲が少しでも下がることを考えて作ったことと思います。
又、国、東京府も当時、帝都の交通網の整備が急いでいた背景や鉄道申請の乱立で申請却下、取り消しもあり
現に下井草-荻窪間の申請の免許取消もされている。

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色々な資料によると現在の高田馬場駅から0.3~0.5km下落合駅寄りの山手線立体交差する手前に存在したと言われている。
「地図で見る新宿区の移り変わり 戸塚・落合編」のなかで下落合町丸山地内に高田馬場仮停車場が置かれた事が記載されている。
その下落合町丸山地内とはどこか。
第一踏切~第六踏切辺りが該当することになる。
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他に資料を調べていくと「氷川神社の前に在った」言う証言が出てくることがある。
「前」とはどこを指すのか。仮に氷川神社の真正面にあった場合、第六、第七踏切間となる。そうすると下落合駅との間が多少近い気がする。

次に利便性だが高田馬場仮停車場から国鉄高田馬場駅に移動するには歩いてどの道を使うか考えてみる。
まず国鉄高田馬場駅に行くにはどうしても神田川を渡らなければならない。
当時どの橋が存在したのか、候補として二つの橋がある。「田島橋」と「清水川橋」である。
田島橋」は江戸時代始めには存在が知られている。一方「清水川橋」は昭和4年の地図には存在が確認できなかった。昭和4年から昭和16年の間に作られ線路は昭和2年の開通だから「清水川橋」は消える。そうすると第一踏切から第三踏切は候補から外れる。
そうすると残った踏み切りは第四、第五、第六、第七となる。「田島橋」からつながる踏切は第四、第五となるが道路の広さと江戸時代から使われている環境を考えると第五踏切に当たるのではないか。
氷川神社の前」との関係だが距離としては約100m以内なので大雑把な「前」と言える範囲内だといえるので(仮)高田馬場駅は第五踏切付近に存在したと判断をします。

高田馬場第五踏切
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他の人のネット上には国鉄高田馬場駅前近くまで線路が引かれて存在したのではないかと言うものがあるが
当初下井草駅から目白駅を目指していたのを高田馬場駅に変更されその書類が国鉄高田馬場駅前近くまで線路を示しているのではないのだろうか。それは22m道路の完成させるため道路計画とダブらせて用地買収計画を進ませるための計画であったのかもしれない。

それに神田川を渡る橋を2本かけなければならなくなる当時そんな潤沢な資金があったとは考えにくい。
田島橋等から神田川周辺を探索したが痕跡は見つからなかった。

田島橋から清水川橋を望む
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申請当初の本線である田無-荻窪間を完成より、支線のこちらが書類を提出後高田馬場駅の土地を山手線の内側を確保することが出来て工事が積極的に進められたのではないか。

以上、(仮)高田馬場駅の実際に写真や地図や跡などの資料がありませんので推測でしかありませんのであしからず。

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